Organize human activities into 10 mutually exclusive and collectively exhaustive categories / 人間の活動をMECEで10個に分けて整理する
人間活動は実はMECEで10個に分類できるではないかという問いです。基本的に日本語で書きます。英語版は機械翻訳です。
私たちは自分たちの考えや行動について話すとき、「本当に頭のいい人はこういう人であなたはバカ」「理系と文系どっちがいいか、分ける意味があるのか」「正しさとは息苦しくないか」「自由とは何か」のようなことを議論したり悩んだりします。その際、上手く整理できずにトラブルが起きることや理想の行動ができないことが少なくありません。そういった迷走が起こる理由は異なる話題が混在しているせいではないかというのが本文で考えたいことです。
人間が活動をするとき、何らかの軸と何らかの成果があるかと思います。例えば、数学は計算という軸で定理や公式を得ます。買い物をするとき、買いたいものを決めて、お店でそれらを探し購入します。つまりは、計算や買いたいものを軸に定理・公式や購入物を成果として得るわけです。ただし、数学と買い物では軸と成果の在り方が違うのではないでしょうか。上記で述べた迷走はその軸と成果に関する解釈の混乱によるであろうというのが私の仮説です。
私は人間の活動はたったの10種類に漏れなく被りなく分ける方法を編み出しました。いわゆるMECEであり、人間の活動を解釈するときいずれか一つに必ず当てはまるというのが、本手法のすごいところです。
また、本文で述べる分類は人間以外にも当てはめることができるのが強みです。他の動物はもちろん2026年現在話題沸騰中のAIの活動にも当てはめることができます。突然宇宙人が現れても対応可能でしょう。そういった抽象性も含めて強い理論なのです。
本文で述べることはあくまで分類です。繰り返しになりますが、議論の決着や悩みの解決に使える一つの糸口です。何かに優劣をつけるものではないですし、意思決定に直接かかわるものでもありません。ましてや独断と偏見で決めつけるような固定観念の話ではありません。個人や集団で何かを考えるとき、その軸と成果を明確にすることに役立つでしょう。軸と成果が明確になれば、議論や悩みに対して広く深く洞察するために何を勉強するべきかも明確になるはずですし、その案内も本文で記載します。真の教養を身につけ、時代の変化に耐えうる思考能力を身につけるために本論が役に立つことを願ってやみません。
最初に人間活動の登場人物について紹介します。まずは具体例で話します。数学を行う際、まずは基本的な定理や公式を知ったうえで、与えられた問題の答えをなんとなく予想するでしょう。それで実際に計算をして予想が正しかったか確認します。買い物でもそうです。まずは買いたいものがあり、購入できると踏んで買い物をします。お店の人と話したり、お金を払ったりしてモノやサービスを得るわけです。理科はどうでしょう。実際に起こっている自然現象に対して、実験や観察を通してうまく説明できる理論や説明を考えるわけです。こんな風に数学のお勉強や買い物、理科の説明をするのは人間であります。将来的には鉄腕アトムやドラえもんのようなロボットも同じことをしているかもしれません。
いずれにしても、人間は何かを認識したり頭に思い浮かべたうえで、頭や体を働かせます。頭や体を働かせるように試行錯誤することを「処理」と呼びます。処理中に変わらないものを「入出力」、処理をしている本体を「主体」と呼びます。上記の例でいえば「数学の予想」「買いたいもの」「自然現象」が「入出力」です。「計算」「買い物の仕方」「実験・観察・理論作り・説明」が「処理」です。「人間」「鉄腕アトム」「ドラえもん」が「主体」です
登場人物は「主体」「入出力」「処理」の三種です。この「入出力」「処理」を各々3種類に分け、どちらか一方を「軸」、他方を「成果」とすることで18 ($=3^2 \times 2$) 種類にMECEに分けられるのです。ここから無効なものを除き、一部を同じ分類にすることで10種類に減りますが、それは後ほど話します。
上記の「主体」「入出力」「処理」について表にまとめてこの節は終わりとしましょう。より深く理解するには具体例をたくさん思い浮かべればいいです。例を出せば、「プログラマ」が「主体」、「インタフェース」が「入出力」、「実装」が「処理」と言えるでしょう。他にもいろいろあるはずですので探してみてください。
| 用語 | 説明 | 具体例 |
|---|---|---|
| 処理 | なんらかの試行錯誤 | 計算、買い物の仕方、実験・観察・理論作り・説明、実装 |
| 入出力 | 「処理」中に変わらないもの | 数学の予想、買いたいもの、自然現象、インタフェース |
| 主体 | 「処理」をしている本体 | 人間、鉄腕アトム、ドラえもん、プログラマ |
前節で「入出力」「処理」を各々3種類に分けるという話をしました。その三種どのように分けるかが本節の話題です。この三種の分け方が漏れなく被りないMECEになっていることに注意しながらお読みください。
分けるときに注目するのは、主体が変更できるのか、そして、主体が変更できるとしてそれはたったの一つかそれ以上かということです。
まずは入出力について考えてみましょう。数学の予想や買いたいものは個人の自由ですから好き勝手変更できます。また、個人の考えなので変更するものは一つです。自然現象はどうでしょうか。我々が祈ったり社会運動を起こしても運動の三法則は変わりませんので、変更可能なものは0個です。インタフェースはどうでしょう。プログラマではない方のために説明すると、インタフェースとはアプリの画面の仕様のようなものです。利用者がソフトを使うときに触れる部分あるいはその仕様(性質)のことをインタフェースといいます。インタフェースを考える際、開発者だけでなく利用者と一緒に考えるべきです。商売で開発しているなら利用者以外に経営者や営業とうまくやらなければなりません。そういう関係者もコミュニケーションの取り方次第で変更可能であります。つまりは、自分と複数の他者を考えると、二つ以上変更できるものがあるということです。
処理についても同様の議論ができます。計算は公式や定理1が正しい限り、計算結果は人によりません。人によって違うのなら、それは数学として破綻しているでしょう。基礎となる部分が同じである限り、真か偽かについて人間が変更できるものは0個です2。買い物の仕方については自分と店員さんのやりとりですから変更可能できるものは二つ以上です。理科の実験・観察・理論作り・説明は自然現象と合うように改善していけるものでしょう。一人でやっているなら変更可能なものは1つと言えるでしょう。異なる仮説を持った人や様々な所属の人と一緒にやるなら変更可能なものは2つ以上でしょう。ソフトウェアの実装は開発チーム単位で考えると変更可能なものは一つ(一チーム)です。このように処理も入出力と同様に変更可能なものがあり、その数を数えることができます。
上記の「入出力」「処理」を考えるとき、変更可能なものが0個のものを「客体」、1個のものを「個体」、2個以上のものを「社会」と呼びます。物の数は非負整数ですから、0/1/2以上で漏れなく重複なく分類できています。「客体」「個体」「社会」の総称を「変更可能体」と呼びます。
勘のいい方は既に気づかれているでしょうが、「変更可能体」は一つの信念によって固定されるものではないことに注意してください。これらの分類はあくまでも議論や悩みを整理するためのものであり、「客体」「個体」「社会」のどれに当てはまるかは文脈に依存します。同じものでも議論や悩みの種類によって分類が異なりうるのです。例えば、数学の証明は真偽が同じでも別解があります。真偽のみに注目するなら「客体」ですが、計算の美しさや筋の良さに注目するなら「個体」あるいは「社会」かもしれません。買いたいものについても、予算の都合で複数の中から一つ選ぶ場合、葛藤しているかもしれません。一人の中に揺れる心が二つ以上あればそれは「個体」ではなく「社会」なのかもしれません。プログラムのインタフェースも開発者・利用者・経営者・営業をひとまとまりの共同体とみなせば「社会」ではなく「個体」といえるかもしれません。このように文脈によって「客体」「個体」「社会」のどれに当てはまるかは変わります。ただし、文脈が変われども、必ずこの三種のうちのどれかになるのがポイントです。
「変更可能体」は人間活動の軸と成果について考えていく上で非常に大事な概念です。最後に表を書いて振り返ります。繰り返しになりますが、具体例はあくまで文脈に依存することに注意してください。
| 用語 | 説明 | 具体例 |
|---|---|---|
| 客体 | 変更可能なものが0個の「入出力」「処理」 | 自然現象、計算 |
| 個体 | 変更可能なものが1個の「入出力」「処理」 | 数学の予想、買いたいもの、一人の実験・説明、実装、美しい証明 |
| 社会 | 変更可能なものが2個以上の「入出力」「処理」 | 買い物の仕方、インタフェース、集団での実験・説明、葛藤する心 |
ここからは軸と成果について話します。人間は何かを正しいと判断して行動し、それをもとに活動を発展させます。その流れについて具体例を通してみていきます。「入出力」「処理」の例に関連付けて考えていきます。
数学をする際、問題の答えをなんとなく予想するでしょう。それで実際に計算をして予想が正しかったか、間違っていたかがわかり、数学的な知見を変えていくわけです。買い物でもそうです。まずは買いたいものがあり、購入できると踏んで買い物をします。ここでもし購入できなかったのなら、店員さんとのコミュニケーションに問題があったのかもしれません。そもそもお店を間違えた可能性もありますし、お金が足りなかったのかもしれません。いずれにせよ次はちゃんと買い物ができるように反省するでしょう。理科の実験はどうでしょう。自然現象に合うような説明や理論を考えます。実験や観察によって不具合が生じれば、説明や理論を変えていきます。ソフトウェア開発者もインタフェースに実装が合わなければ実装を変えていきます。
このように「処理」が終わったあと、「入出力」と「処理」を比較し一方を軸にして、適宜他方を変更して成果を得ます。成果は成長といった方がわかりやすい場合もありそうです。このように判断の軸となり固定される方の性質を「妥当性」、成果となり変更される可能性のある方の性質を「発展性」と呼ぶことにします。数学は「計算」という「処理」に「妥当性」を、「予想」という「入出力」に「発展性」を割り当てます。買い物・理科・ソフトウェア開発は「買いたいもの」「自然現象」「インタフェース」という「入出力」に「妥当性」を、「買い物の仕方」「実験・観察・説明・理論」「実装」という「処理」に「発展性」を割り当てます。
「入出力」と「妥当性」の混同に注意が必要です。「入出力」は「処理中」に変わらないだけであって、「処理」の後は変わってもよいのです。逆に「妥当性」は「処理」後に「入出力」と「処理」を比較する際に変更してはならないのです。例えば、数学の予想は計算中に変わらないですが、計算の後に間違っていれば変えていいのです。「処理」と「発展性」についても同様です。「処理」はあくまで試行錯誤であり、処理の後にその試行錯誤の基準を変えるかどうかという「発展性」は別問題です。先ほどの例でいえば、数学の証明を作るのに試行錯誤はしますが、だからといって命題の真偽が自由に変更できるわけではないのです。
「変更可能体」と同様に「妥当性」「発展性」の割り振りも文脈依存であることに気を付けましょう。例えば、数学の命題の真偽にのみ注目する場合、証明という「処理」に「妥当性」、予想という「入出力」に「発展性」がありますが、数学の証明の美しさに注目する場合、証明という「処理」に「発展性」、数学の美しさの基準に「妥当性」があります。いずれにせよ「入出力」「処理」のいずれか一方に「妥当性」、他方に「発展性」を割り当てるのは変わりません。どちらに何を割り振るかは文脈によりますが、割り振り方は二通りしかありません。
最後に「発展性」「妥当性」について、例を「入出力」と「処理」に分け、表にまとめて終わりにしましょう。
| 用語 | 説明 | 入出力の例 | 処理の例 |
|---|---|---|---|
| 妥当性 | 「処理」の後、変更せず判断の軸となる「入出力」「処理」の一方 | 買いたいもの、自然現象、インタフェース、計算の美しさ | 計算 |
| 発展性 | 「処理」の後、変更される可能性のある「入出力」「処理」の一方 | 数学の予想 | 買い物の仕方、実験・観察・理論・説明、実装、美しい計算 |
先ほどまで「処理」の終わりに「入出力」と「処理」を比較し、一方を軸(「妥当性」)として他方を成長(「発展性」)させていくと述べました。そこにもう少し踏み込みましょう。
数学であれば、証明を行うとき、予想が正しければその予想をそのまま保持します。間違えていれば予想を棄却します。証明によって予想外の結果が出た時その結果を採択します。想定すらされておらず反証された命題は無視します。このように「妥当性」のあるものに基づいて「発展性」のあるものを保持・採択することを「正」、棄却・無視することを「否」と呼ぶことにしましょう3。この「正否」の具体例を様々考えることが本文のテーマである「人間活動の10分類」の本質なのです。ここでの数学の例であれば、証明という「客体」の「処理」に「妥当性」を割り当て、予想という「個体」の「入出力」に「発展性」を割り当てた活動で、反証された命題を「否」とし、証明された命題を「正」としています。
「正否」の他の具体例をみましょう。買いたいものがあるとします。これは「個体」の「入出力」です。買いたいものを手に入れるには店員さんと話をして、お金を払います。これは「社会」の「処理」です。このときクーポンを出し忘れて損したとします。次から改善しようと考える。これは「個体」の「入出力」に「妥当性」を割り当て「社会」の「処理」に「発展性」を割り当てた活動で、クーポンの出し忘れを「否」とし、クーポンを出すことを「正」としたわけです。「妥当性と発展性」「変更可能体」に注目して「人間活動」「正否」の在り方を考えられそうです。
ここで分類の便宜上、「客体」を「妥当性」とした場合の「正否」を「真偽」、「個体」を「妥当性」とした場合の「正否」を「美醜」、「社会」を「妥当性」とした場合の「正否」を「善悪」と名付けます。数学の例では「真偽」、買い物の例であれば「美醜」というわけです。
「正否」が「真偽」「美醜」「善悪」のどれなのかは文脈によります。買い物の例を見てみます。買いたいものを万引きしたとしましょう。万引きした自分に嫌気がさし、万引きをやめたとしたら、万引きを「醜」とみなし、金銭のやりとりによる買い物を「美」としています。逆に万引きをしてアニメやドラマの怪盗になりきっている不届きものは万引きを「美」としているかもしれません。視点を変えて、万引きをするとお店に迷惑だとか警察に捕まるだとかそういったことを考えるかもしれません。「主体」が万引きをしなければ自分だけでなく店員や警察の気持ちや態度が違っていたでしょう。変更可能な自分と他者を含む「社会」の「入出力」である社会通念を基準に万引きを「悪」、金銭のやりとりを「善」としているわけです。とにかく文脈依存なわけです。
ここで注意することは「客体」に「発展性」を割り当てられないことです。「個体」や「社会」は1つ以上変更可能であるから「発展性」を割り振れます。「客体」は変更できるものが0個なのです。例えば、公理や推論規則を変更しない限り、数学の命題の真偽についての予想は発展しうるが、命題の真偽や計算結果は人間が変えることができません。もちろん、あくまでこれは数学の一面であり数学徒への貢献や公理・推論規則の選択、理論の一般化・抽象化、証明の美しさなどは発展しうることに注意が必要です。ですが、人間やAIなどの「主体」とは独立に自然現象や証明は固定されている一面があり、それらは「客体」であって「発展性」は割り当てられないのです。繰り返しになりますが、その理由は「主体」が「客体」である「入出力」または「処理」を変更できないからです。
最後に用語を表にまとめます。真善美について分けて考える効果を次の節で説明しますので重要なまとめになるかと思います。
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| 正 | 「妥当性」のあるものに基づいて「発展性」のあるものを保持・採択すること |
| 否 | 「妥当性」のあるものに基づいて「発展性」のあるもの棄却・無視すること |
| 真 | 「妥当性」が「客体」にあるときの「正」 |
| 偽 | 「妥当性」が「客体」にあるときの「否」 |
| 美 | 「妥当性」が「個体」にあるときの「正」 |
| 醜 | 「妥当性」が「個体」にあるときの「否」 |
| 善 | 「妥当性」が「社会」にあるときの「正」 |
| 悪 | 「妥当性」が「社会」にあるときの「否」 |
「真善美」を分ける議論をしました。これらの分類にどのような意味があるか説明します。ここで話すのはあくまで効果の話です。ですから、本節は私の経験的な勘に基づくものであって、漏れもあり被りもあるかもしれません。読者と意見が違ってもおかしくありません。ただし、念を押していうのですが、分類自体が漏れなく被りなく可能であるという事実は変わりません。本節は分類した後にどのような判断をするかの一例と考えてもらえるとよいです。
さて「真善美」を判断するとき何を基準に考えればいいでしょうか?そのために以下の用語を導入します。
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| 主体性 | 「主体」が変更可能なこと。「個体」や「社会」が持ち合わす性質。 |
| 普遍性 | 「主体」の変更が難しいこと。「社会」や「客体」が持ち合わす性質。 |
| 過重性 | 「主体」の負担が大きいか一人では実現できないこと。「客体」や「個体」が持ちあわす性質。 |
上記の性質は活動の際の束縛です。例えば、数学や理科は私とは独立に成り立ちます。なので、買い物やソフト開発と違い、正否の判断に余計な解釈や意思決定が入り込みません。トラブルや悩みから解放されて楽になるわけです。裏を返せば、「個体」や「社会」において余計な解釈や意思決定が束縛になっていたというべきかもしれません。つまり、上記の表に照らし合わせると、「個体」や「社会」は「主体性」に束縛されており、「客体」は「主体性」から自由であったと言えそうです。
「普遍性」についても同様に考えられます。多数の利害関係者や価値観の違いのある「社会」では「主体」が変更するのが難しいものがあります。例えば、法律や慣習、景気、物価、契約などは個人の力で変えるのは苦労します。ある程度影響力を持って少し変更できる程度でしょう。そして、物理法則や化学反応など「客体」を変えることはそもそも不可能です。ですが、空想や創作は個人で好き勝手にできます。これは「個体」が「普遍性」から自由であると言い換えることができます。
「過重性」についても同様でしょう。やはりキーワードは自由です。一人で家事をするより他の家族にも家事をしてもらう方が楽です。病気になったとき自分では治せないので専門家に治療してもらうでしょう。一人の負担を減らしたり、一人ではできないことを実現するのが「社会」の役割です。「主体」から変更可能なものが複数あるために分散システム・並列システムとして動作できるわけです。表に照らし合わせれば、「社会」は「過重性」から自由です。
議論を振り返るに「正」を「真善美」に分ける効果はどのような自由について考えているかを明確にすることではないでしょうか。私は活動の自由な部分にやりたいことが詰まっていると考えます。何が正しいかを判断する際に、その判断基準が何から自由なのかを正確に捉えることが重要です。例えば、買い物をするときは買いたいものを考えます。これは個人の好みや個性で考えればいいですから、如何に「普遍性」から自由であるかを判断基準にすればよいです。つまりは「美醜」です。あまり周りに流されてモノを買ってはいけないということです。数学の例も見てみましょう。数学の証明は人や機械によって真偽が変わってはいけません。この「主体性」からの自由は紀元前の『ユークリッド原論』から議論されており、素朴集合論の破綻からより一層議論が深まったところです。現代数学は無定義述語という大発明のおかげで「主体性」から自由になったのでした。これが「真偽」の本質です。暴力や盗難を「社会」が罰するのは被害者一人の負担が増えたり、信頼がなくなり社会全体の協力関係がなくなったりすることを避けるためでしょう。「過重性」からの自由が「善悪」の本質といえそうです。まとめれば「真善美」のどれを基準に判断するかに迷えば、「主体性」「普遍性」「過重性」のどれから自由になりたいのかをよく考えることです。議論や悩みについて考えるとき常にそうするとよいでしょう。
実はこれまでの議論は「妥当性」だけでなく「発展性」にも当てはまります。例えば、冠婚葬祭のやり方が決まってるのはイベントのやり方を一から考えると混乱するからです。「過重性」から自由になりたいのです。さて冠婚葬祭を行う際はそのしきたり・慣習には「妥当性」が割り振られているかもしれません。ですが、冠婚葬祭は地域や時代ごとに発展してきました。これは「個体」の「処理」を「妥当性」として「社会」の「入出力」が「発展性」を持ったパターンと解釈できそうです。この場合、「発展性」の方にも「主体性」「普遍性」「過重性」のどこから自由なのか判断すべきなのです。
上記までの議論をもとに人間の活動を漏れなく被りなく分類します。いわゆるMECEとなっています。本節では名称の確認とMECEになっているかの確認のみ行います。各活動の詳細は『人間活動の各論』にて議論します。
下記が人類行動の分類表です。「客体」は変更不能なので「発展性」を割り当てれらないことに注意してください。
「入出力」に「妥当性」を、「処理」に「発展性」を割り当てた場合
| 「入出力」が「個体」 | 「入出力」が「社会」 | 「入出力」が「客体」 | |
|---|---|---|---|
| 「処理」が「個体」 | 芸術 | 技術 | 科学 |
| 「処理」が「社会」 | 経済 | 法 | 科学 |
※ 「客体」は変更不能なので「発展性」を割り当てられた「処理」になりえません
「処理」に「妥当性」を、「入出力」に「発展性」を割り当てた場合
| 「入出力」が「個体」 | 「入出力」が「社会」 | |
|---|---|---|
| 「処理」が「個体」 | 思想 | 文化 |
| 「処理」が「社会」 | 学問 | 政治 |
| 「処理」が「客体」 | 数学 | 数学 |
※ 「客体」は変更不能なので「発展性」を割り当てられた「入出力」になりえません
MECEであることを確認しましょう。まず「入出力」「処理」のどちらに「妥当性」を割り振るか二通り考えます。「発展性」は「妥当性」が割り振られなかった方に自動的に割り振られます。その後、「妥当性」のあるものに「客体」「個体」「社会」の3つのうちいずれかを割り振ります。「発展性」のある方に「個体」「社会」の二つのうち一方に割り振ります。前節『成果物の判断軸 ~正否・真善美~』で述べたように「発展性」のあるものに「客体」を割り振れないことに注意してください。なぜなら「客体」は変更可能なものが0個であるためです。ここまでを考えると素朴に計算すれば12 ($= 2\times 3 \times 2$) 通りです。「数学」と「科学」の「発展性」に注目すると「個体」「社会」を問わず同名の分類としています。このグループ分けのせいで10通りとなるわけです。
『人間活動の構造 ~主体・入出力・処理~』で述べた18通りとのギャップは「客体」を「発展性」に割り当てられないこと、「数学」「科学」の名前の付け方にあったわけです。
次の節でそれぞれの分類について詳細を少しずつ述べます。
ここからは各分類について具体例を交えて説明します。加えて、妥当性や発展性について深く広く知るためにどのように教養を身につけるべきかについても私の案を提示していきます。
各論に入る前に迷わないために2点アドバイスをします。
まず各「変更可能体」に対する「入出力」「処理」が抽象的な定義だったため具体例が何か具体的に思い浮かびにくいかもしれません。そのため既存の日本語で当てはまる言葉を探した。その言葉をイメージしながら読んでいただくとわかりやすいと考えています。下記の表にそれを記します。ただし、あくまで私の定義であるため、従来の意味とズレる可能性はあります。
| 用語 | 説明 |
|---|---|
| 自然 | 「客体」の「入出力」 |
| 観念 | 「個体」の「入出力」 |
| 合意 | 「社会」の「入出力」 |
| 計算 | 「客体」の「処理」 |
| 表現 | 「個体」の「処理」 |
| 意思疎通 | 「社会」の「処理」 |
2点目は議論や悩みを整理するために身につけるべき知識についてです。「妥当性」の勉強は「妥当性の方向性」「妥当性の基礎」「妥当性の具体例」をお勧めします。前者二つは抽象的な例で「入出力」と「処理」のような分け方をしています。例えば、「数学」であれば、「数学の哲学(論理主義や形式主義、直観主義など)」「数学基礎論(数理論理学や集合論など)」「中学・高校数学の演習」です。「発展性」の勉強は「通時的な具体例」「共時的な具体例」を網羅的に知ることです。各活動の歴史の本(通時的)と現在高校・大学で習う分野を網羅的に知れる百科事典(共時的)のようなものをお伝えできればと思います。ここで紹介する書籍はすべて日本のものです。
専門外のものとそうでないもので落差が激しいと思いますが、本文はGitHubで管理していますから順次改善していきます。
観念を元に表現を発展させる活動。自由の観点では独創的なアイデアを元に独創的な作品を作っていきます。
音楽や絵画、映画、料理、文芸などのことです。自分のアイデアをどのように形にするかを考えて作品にする活動です。アイデアを明確にして自分が満足いくように形にしていくのが大事です。
美学という分野が妥当性の方向性を知るうえで大事かもしれません。妥当性の基礎を知るためには技法を学びその効果について知るとよいかも。技法はあくまで表現の方なので、その表現で実現したい観念、つまり、技法の効果に注目してください。
音楽はコード理論や楽器など、絵画は構図や配色など技法について幅広く勉強することが、発展性の具体例を知る方法かもしれません。博物館や美術館、映画館に行っていろいろ作品を見てもよいかも。美術史とかもいいですね。案外共通テストや旧センター試験の国語の小説の問題がためになるかも。文芸の技法について理解できる。
合意を元に表現を発展させる活動。自由の観点では社会の負担を減らす考え方を元に独創的な方法を生み出していきます。
品質や安全のことを考え、利用者とどのように合意したか、ニーズは何かを妥当性とすべきです。要件定義や仕様書、設計書などを元に洗練されら個性豊かな製品を作っていくのです。妥当性の方向性は品質や安全、科学技術の倫理、技術動向などを学ぶべきでしょう。基礎はソフトウェア工学、機械工学、材料工学の本を読むといいです。特にソフトウェア工学はアジャイルやウォーターフォールのような開発工程の話が大好きなので参考になるでしょう。
技術の発展性は、科学技術の仕組みの図鑑を探すとよいです。『テクノロジーのしくみとはたらき図鑑』という本がいい感じでした。私の定義の「技術」は農学や医学、薬学なども含みますからその辺の仕事に興味を持つのもよいしょう。技術の歴史の本も探せば結構ありました。
自然を元に表現や意思疎通を発展させる活動。自由の観点では我々から変更できない現象をもとに我々の行動を書いていきます。
研究全般や科学技術を指すのではなく、あくまで理科を指すことに注意してください。理科であれば趣味や教育活動も含むものとします。
自然法則は人間の手では変えられないことです。そして人間の外で発生します。
実験や観察を入念に行い、誰がやっても同じことが起こるような説明や理論に落とし込むべきでしょう。例えば、生物の表面を顕微鏡で見ると細胞と呼ばれる小さい単位があります。地球上で真空中では質量に関わらず同じ加速度で落下します。ただし、地球から離れすぎるとそれでは近似できないため万有引力の法則を適用する必要があるでしょう。これらはすべて実験や観察で「真偽」が決まることです。間違えていると思ったら実験や観察をしましょう。相対性理論や量子力学について巷ではいろいろ言われていますが、どのような実験や観察によって得られた考え方かを理解しなければ、何もわかったことにはなりません。
科学の妥当性の方向性については死ぬほど議論されています。科学哲学という分野で、調べればいっぱい出てきます。義務教育の教科書に載ってることもあります。「再現性」や「反証可能性」などの議論をよく勉強してください。ただし、科学哲学の中には下記の「学問」と「科学」を混同した議論があります。科学の社会学やパラダイムなどがその典型例です。気を付けましょう。
科学の妥当性の基礎についてはやはり実験や観察の方法を幅広く知ることでしょう。一ついい代表例があるとすれば、物理の単位がどのような歴史や測定で決まったのかを理解するのがいいと思います。A(アンペア)やC(クーロン)、K(ケルビン)などの単位のもとになった法則や実験を理解するだけでかなり違います。また10kgや10mAと言われて五感でどのようなものかわかるとなおさらよいでしょう。
科学の発展については化学の歴史や電磁気学の歴史について学ぶことがお勧めです。一見目に見えない自然現象をどう捉えていったのかが非常によくわかります。また、科学を広く知るには高校理科の資料集がおすすめです。高校範囲の物理・化学・生物・地学の鬼になればかなり強そうです。物理だけは数学の関係でできないこともあるので、大学の範囲も勉強必須です。
念のため伝えますが科学技術は「科学」ではありません。「科学」の知見を活かした「技術」であり「妥当性」は「自然」ではなく「合意」です。モノづくりなのですから、何を作りたいかは自分と他者で議論しながら決めるでしょう。
観念を元に意思疎通を発展させる活動。自由の観点では個人的な考えを元に他社にお願いして負担を減らす行動を行っていきます。
経済制度ではなく経済活動のことを指すことに注意してください。
個人的な目的に従いコミュニケーションを行って何かを得る。これはすべて経済活動です。その証拠にゲーム理論は経済学の一分野です。自分の個人的な欲求を他者の力を借りて満たすのです。貨幣というのは素晴らしい発明で、他者にモノやサービスを提供してもらう際のコミュニケーションをスキップできる媒体として優秀すぎます。煩わしい交渉なしに金を払えばコーヒーが飲めます。コミュニケーション・メディアの最高傑作は貨幣でしょう。それなのに、メディア論の教科書はマス・メディアやSNSみたいなゴミばかりを中心に取り上げがちですが。貨幣にこだわらず信頼や愛だけでもモノやサービスを提供できますし、give&takeもできるでしょう。これも立派な経済です。
経済の妥当性については何を参考にすればいいかわかりません。経営理念が「妥当性」のある「個体」の「入出力」の一種と見做せることができるかもしれません。経営理念の効果や持ち方に関する書籍はでています。しかし、消費者としての美学についてはあまり議論されていないように思います。まあ、好きに交渉したり買い物したりすればよいということなのでしょうか。とにかく本文の「経済」の美について体系的に述べられているものは見つけられていません。
発展性の方はいっぱいあります。まずは経済思想についてよく学ぶといいかもしれません。資本主義的なシステムも社会主義的なシステムも発展してきた意思疎通の手段です。異端派経済学もよく勉強すると広く深く見えそうです。経済史や経済学史もとても重要ですね。疑似科学みたいな経済数学よりも経済の歴史的発展をみて、我々はどのような意思疎通手段を作っていくべきか考えていくべきでしょう。特にAIやロボットなど人間の能力を超えた存在が現れた時に、人間同士での経済的手段がどうなっていくかはよく考えるべきだと思います。他に交渉術やマネジメント、リーダーシップ、ミクロ・マクロ経済学などいろいろやるといいでしょう。高校の政治経済の資料集が結構いい感じです。
余談ですが、「経済」は数学を多用しているので「科学」の顔をしていますが、その数学の公理は実験ではなくイデオロギーによります。仮に現実を調査したところで、「社会」というのはメディアで扇動したり政治の在り方で変わってしまうものです。経済学を「科学」と考えている人は本当に経済的手段を変更していないのでしょうか?少なくとも経済学は私の定義の「科学」ではありません。ただし、後述の学問ではあります。
合意を元に意思疎通を発展させる活動。自由の観点では負担を減らすための考え方をもとに、負担の少ない手法で解決していきます。
立法ではなく司法や法学を指すことに注意してください。
国や地方、会社、学校、家庭などの組織が決めたルールを解釈し、周りと調整していく活動が法です。社会の規範や約束は「普遍性」に束縛されますが、「過重性」から自由になれます。
司法試験が難関資格なのに対し、「負担の少ない手法」といったのは語弊がありそうです。これは判例や学説、六法のない世界で同じ判断ができるかという意味で、一人で一から考えるよりは「負担が少ない」と言っています。
妥当性の方向性は法哲学、基礎は法解釈の書籍を読むとよさそうです。正義や責任、公平公正、平等などについて考えたり、判例や学説を通した法の適切な解釈について学ぶと、法学徒以外も他者に納得してもらいやすくなるかも。
発展性は六法の入門書や比較法学、法制史を学ぶとよさそうです。国内に詳しくなること、国同士の比較をすることの二つの枠組みがありそうです。
表現を元に観念を発展させる活動。自由の観点では独創的な方法で考え方を洗練させていきます。
自分の経験や行動を元に自分の考えを変えていく行為です。人間だれしもやっています。
過去の偉人たちがどう考えたか、何を考えたか。その妥当性や発展性を知るためには高校倫理の資料集がとても優秀です。
表現を元に合意を発展させる活動。自由の観点では独創的な方法で社会の負担の減らし方や集団で実現することを変えていきます。
音楽やアニメ、ドラマなどで世の中の流行が変わります。このとき発展する社会は文化です。文化を変える文化活動です。友達や家族と楽しみを共有したり、他者の作品や活動を鑑賞したりすることは、一人では到達できません。ある意味で社会的な負担を減らしているのです。
冠婚葬祭が存在しなければ、何か特別なことがあったときにどうすればいいか途方に暮れてしまうかもしれません。国や地域、時代ごとに形は変わりますが、特別な日の行動指針を決めるという意味で社会の負担を減らしています。
文化の美について考える際、何を参考にすればいいのかわかりません。文化相対主義が否定されがちであり、「美」と「真」の区別がついていない議論が多いように見えます。
発展性については山ほどあります。日本国内なら民俗学の図説や冠婚葬祭マナー、日本語に関する書籍などがお勧めです。国外を広く見るなら高校地理や文化人類学がお勧めです。文化史の本もいっぱいあります。民俗学も歴史学の一面が強いです。何より現代のエンタメや生活を嗜むだけでも発展性についてある程度理解できるでしょう。
意思疎通を元に観念を発展させる活動。自由の観点では負担の少ない方法で個人の考えを洗練させるものです。
自分で一から考えるのではなく、教科書や論文、史料など過去の文献や議論などを通して、個人の考えを洗練させる行為です。「主体」を学会と考えれば、新規性・進歩性のある学問分野自体の発展ともいえるでしょう。過去または現代の自分または他社との意思疎通が妥当性として効いているわけです。また、「学問」は既知のものを教える側の立場から見れば「教育」、教わる側から見れば「教養」、未知のものに対応する場合は「研究」と分類されているように思います。
「学問」は「科学」と混同されがちです。例えば、仮説の考案は「自然」よりも「意思疎通」の影響が大きいこともあります。歴史学や古生物学などは文献や資料の解釈の嵐であり、これは「客体」である「自然」というより解釈で変更できる自分と他者との「意思疎通」を「妥当性」としていると考えてよいでしょう。生物学の分類学や学名は「科学」ではなく「学問」です。これは名前の付け方や名前が付いているかどうか、分類の手順など、「自然」ではなく「意思疎通」で決まるからです。また、「科学研究」は「科学」ではありません。理系といえども過去の論文を読み、新規性や進歩性を主張する必要があるからです。新規性や進歩性など専門家にうまく説明できるかどうかで決まる側面があります。説明とは変更可能な自己と他者の対話ですからこれは「自然」ではなく「意思疎通」です。
「妥当性」はスタディスキルやアカデミックライティングの勉強をすれば基礎を身につけられます。「妥当性」の方向性ですが、研究倫理や図書館情報学などを勉強すればいいかもしれません。引用はなぜつけるべきか、なぜ捏造はいけないかなどを考えたり、文献とは何かを考えられるかもしれません。
「発展性」についてはWikipediaの学問の一覧が意外といい感じです。書籍としてもいくつか出ていますが、網羅性がなく残念な感じでした。歴史的な発展については大学や人文学の歴史を追えば結構わかります。
意思疎通を元に合意を発展させる活動。自由の観点では、負担の少ないやり方で、負担を少なくするような考え方を変えること。
例として、投票やデモ、マス・メディアによって福祉や景気を変えていくといえばわかりやすいと思う。政治というのはもちろん煩わしくて難しいだろうが、投票システムやデモのノウハウ、プロパガンダのような手段でトラブルを少なく協力者を集めるというのは負担が減っているといえそうだ。何より社会は一人ではなかなか動かせないものなのである。権力も優れたコミュニケーション・メディアで、多数の人の意見を全て聞いていたらなかなか進まないことを少数人の意思決定で迅速に決まる。この権力も「妥当性」を支える重要な概念であろう。世界の在り方を軍事力で変えることも複数の国家間の「入出力」と「処理」と考えると「政治」に分類されるのが自然であろう。
「妥当性」の方向性は政治哲学がよさそうである。政治の基礎については政治過程論、あるいは選挙や投票、公共選択の数理モデルについて勉強するとよさそうだ。
政治の発展性は山川世界史・山川日本史・高校の政治経済の資料集がお勧めである。
計算を元に観念や合意を発展させる活動。自由の観点では、解釈や意思決定に依存しないやり方で、個人や世の中の考え方を変えていくこと。
「数学」の妥当性の歴史は素晴らしい。『ユークリッド原論』から集合論の登場と破綻、現代数学の誕生までドラマチックで哲学的だ。とにかく現代の数学はすごい。「直線とは幅が0の長い線のことだ」などのイデア論は不要である。そんなものは「思想」である。「直線」と言われて初等幾何的イメージを思い浮かべても $y=ax+b$ を思い浮かべても自由である。無定義述語という大発明で、正しさの検証が公理と推論規則の機械的操作のみに依存し、現実との対応付けや解釈が不要になった。 $1+1=2$ という式を見て2つのリンゴを思い浮かべようが、2つのみかんを思い浮かべようがどちらも正しい。自然数と言われて、10進数を思い浮かべようが、2進数を思い浮かべようが、ローマ数字や漢数字を思い浮かべようが、関係ない。自然数が0はじまりでも1始まりでも関係ない。ここで上げた自然数はすべてペアノの公理を満たしているのである。このように試行錯誤で決まる「処理」の部分が「客体」であることできる。カントール・ブラウアー・ラッセル・ヒルベルト、その他大勢の数学者様たちのおかげである。
ここで「ゲーデルの不完全性定理」について述べておきたい。「ゲーデルの不完全性定理」についてよく理解せず「数学には真偽が決まらない命題がある。数学は不完全な学問だ!」などという酷い主張がされがちである。
数学には確かに真偽が決まらない問題が存在する。しかし、それは「ゲーデルの不完全性定理」によって示されたわけではない。もっと簡単な例があるのだ。例えば、群の公理から群の交換法則やその否定が導けるかという問題だ。答えはNOである。なぜなら、交換法則がなりたつ整数の足し算も交換法則が成り立たない正則な2次正方行列の積も両方とも群の公理を満たすからである4。真でも偽でもないのである。だからといって悲観的になる必要はない。交換法則を入れるかどうか用途によって使い分ければよいのだ。その交換法則を入れる判断は「科学」か「学問」か「思想」か・・・。とにかく「数学」ではない。だが、「真偽」が決まる部分は間違いなく「客体」であり、真偽が決まらない部分は「普遍性」からの自由度が高いのだ。
「ゲーデルの不完全性定理」は公理に自然数(のようなもの)を含む際、その体系の中で無矛盾であるかどうかを示せないということを言っている。まず命題自体が結構特殊でコンピュータの上でエミュレータが動くようなことを論理学でやっている。コンピュータはエミュレータ上で自分が矛盾していないこと、あるいはその否定を証明できないと言っているのだ。ただし、とある公理を追加するとエミュレータが「矛盾する」と言ったり「無矛盾である」ということができるということだ。群の交換法則と同じ要領で「無矛盾である」と主張する独立な公理を1つ選択し付け加えてあげれば問題ない。ただし、その公理を発見できたらという前提があり、それは結構難しい。
「妥当性」の方向性については素朴集合論から現代数学が生まれるまでの哲学と歴史を知るとよい。基礎については数理論理学や集合論、計算の理論をはじめとした数学基礎論やコンピュータ科学について学ぶとよい。
数学の発展性はまず高校数学から入ること。そのあとは古賀さんの「数学の世界地図」を読むこと。
計算機上の計算も、計算機と利用者を一組の「主体」と見れば「数学」である。生成AIのように計算機が予想する能力を持っていれば、計算機単体で「主体」であろう。
ここまでで分類方法について見ていきました。議論や悩みを整理するときに使えそうな分類について伝えてきたつもりです。そして、興味を持って「この考え方を使いたい!」と思ってもらえたら筆者としてはとても嬉しいのです。
ですが、この分類方法を用いる際にいくつか注意点があります。それらについて見ていきます
今回紹介した分類はあくまで議論や悩みを整理するものです。決して優劣をつけるものでも枠に当てはめるものでもありません。特定の人や物の性質について決めつけるものではありません。文脈や解釈を明確にするだけです。 また、これまでも見てきた通り、文脈や解釈により分類のされ方は変わります。話題に合わせて柔軟に分類を変えるべきです。ただし、柔軟に分類を変えても10分類のどれかにあてはまることは保証されています。分類自体に過不足はありません。
最後に強調しておきたいのは「主体」と「個体」は別物です。例えば、心身二元論の「精神」が「主体」、「肉体」が「個体」と考えるとよいです。他にも「プログラマ」が「主体」、「プログラミング」が「個体」です。何かを空想するときは「脳」が「主体」、「空想」が「個体」でしょう。このように「主体」は変更する側であり、「個体」は変更される側であることに注意してください。
今回の分類の副次的な効果についてお話します。
まずは全体を俯瞰し関係性から定義することで明確になることがあるということです。例えば、「文化」の定義はあいまいなものでしたが、過不足なく分類し、その全体の中に位置づけることで定義が明確になりました。また、「文化」の「妥当性」が「個体」であり、「美醜」が判断基準であるといえそうです。ここから「文化における美とは何か」という問いの重要性が明確になりました。
次に抽象化したことで新たな問いが生まれたことです。例えば、欲を満たすために盗難や暴力をふるうことが経済活動の一種と見做せるかという問いです。富の再分配ではありますが、「経済」を「個体」の「入出力」を元に「社会」の「処理」を発展させる行為と抽象化することで問うことができたと思います。逆に盗難や暴力により欲を洗練させる行為は「学問」なのかという問いです。私の答えとしてはこれらは「醜」や「悪」として判断され棄却あるいは無視されてきた「経済」「学問」です。一種とみなすことはできるが、何らかの理由で「否」とされてきたと考えるべきでしょう。
最後に強調したい効果は、構造の抽象化のおかげで「人間活動」と言いながら人間以外にも適用できることです。例えば、「社会」の一部に家電やペットを含むことができます。家電の操作を覚えて操作しることやペットとコミュニケーションを取ることは「社会」と見做せるわけです。また、「入出力」と「処理」があり、それらに従って振る舞いを変えていけばすべて「主体」なのです。これはAIやロボットを主体とする「経済」や「学問」などを定義することができ、2026年現在の人々にとって未来を考える上で必須のスキルだと思います。
ここまで議論や悩みを整理するための人間活動の分類についてお話してきました。分類はまず「人間活動」を「主体」「入出力」「処理」の3つに分けるところから始まります。その後、「入出力」「処理」の一方に「妥当性」他方に「発展性」を割り振ります。その後、「妥当性」に「客体」「個体」「社会」、「発展性」に「個体」「社会」を割り振るのでした。強みとしては文脈に依存して柔軟に分類できるが、分類に過不足がないのでどれかにあてはまるということです。
分類するときのコツは「主体性」「普遍性」「過重性」のどれから自由になりたいかです。どの自由を持った「妥当性」でどの自由の「発展性」を考えるか。そこを捉える力がかなり重要と考えています。
また今回の「人間活動の分類」は、抽象的に全体を俯瞰し、その中で位置づけたことが大きな成果でした。おかげで「定義の明確化」「新たな問いの創出」「人間以外への拡張」を実現できました。
今回の章で触れたかった細かいトピックは応用編に記載していきます。またAI・ロボット時代の生き方では基礎編・応用編を元にAI・ロボット時代の生き方について考察していきます。
今回のアイデアを洗練させる前に書きかけていたエッセイはこちら。書きたいことがまとまらず頓挫しましたが、アイデアは豊富です。さらにメモ書き程度のアイデア集もあります。人が読めるようなものじゃないですがご興味があればお読みください。
最後に。本論は文献の引用などは特にありません。このままでは学術的な論文としての価値は正直ないです。しかし、私はこのアイデアを洗練させることで哲学的に意義深いものになると信じています。本文で述べた「人間活動の10分類」に少しでも価値を感じた方はご協力いただければ幸いです。GitHubでプルリクエストなどいただければ嬉しいです。
私の考え方が誰かの役に立ちますように。
応用編では下記のようなものを予定していますが準備中です。
本文
洗練される前のもの